気ままな暮らしの向こう側 日々のコラム

【母の日コラム】母と過ごした「何でもないけど、かけがえのない日」のはなし

【母の日コラム】母と過ごした「何でもないけど、かけがえのない日」のはなし

もしも願いが叶うなら、
子ども時代を1日過ごしてみたい。

そんなことを最近ふと考えるようになりました。

娘が生まれてから、脳裏をよぎるようになったのは、
子ども時代、日常の他愛のないこと。
そこにいつもあるのは母のおもかげ。



私は幼稚園から小学校低学年まで、
両親の故郷で、私が生まれた関西ではなく、
父の転勤先だった東京で過ごしました。

1、3、5歳の子どもを連れて遠方への引っ越し。
慣れない土地での家事・育児は
「どれだけ大変だったんだろう」ということは
“今なら”容易に想像がつきます。

ただ当時の私は母の興味をひきたいため
いろいろなわがままを言って
母を困らせてばかり。

5歳頃、公園遊び中に
鉄棒から落ちて泣き叫ぶ私。
うった場所が首だったこともあり
急遽病院へ行くことに。

私1人を連れて病院へ行くために、
姉と妹の預け先など、
あわただしく調整をしたはず。


ただ私の記憶にあるのは、
痛みがひいた後
ドキドキしながらも、
母と2人だけの時間が嬉しかったこと。

始めてみた自分のレントゲン写真が
とても怖かったけれど、
ちょっと大人の気分になったこと。

「心配ないよ」と先生に言われ
不安から安堵の表情になった母に
少し寂しさも感じたこと。

母の手がとても暖かく
繋いでいるだけで安心できたこと。


お母さんの手は魔法の手


何十年も思い出すことがなかった事が
娘が生まれたことで
ふと表層にうかびあがってくるように。

熱を出した時、
家事の合間、様子をみにくる母の冷たい手が
おでこにひんやり気持ちよく

お腹が痛い時、
添えてもらう母の手が
大きく暖かく

大好きでいつも安心できた
「大きくて暖かな、お母さんの手」

大人になって体調を崩し
急遽入院になった私の元に駆けつけてくれた母。

1人で恐怖と痛みで震えていた私を支えてくれたのは、
記憶よりも、私の手よりも小さくなっていたけど、
何年たっても変わらないお母さんの手でした。


娘と私をつなぐもの


どこに行くのにも手を繋いできた娘。
7歳になった今、
お友達がいると恥ずかしがって
私の手をふりほどくように。

振り返ってばかりの私と違い、
どんどん未来に進んでいく娘。

取り残されていく寂しさもあるけれど、
私と手を繋いでいた日々が
娘の心の種にと願えるのは、
母との思い出があるからこそ。

【母の日コラム】母と過ごした「何でもないけど、かけがえのない日」のはなし
私の手をひこうとしてくれる頼もしさもあります。


娘と一心同体だった日々が過ぎてから、
一瞬の日常が眩しいほど懐かしく感じるように。

だからもしも願いが叶うなら
もう一度子ども時代、
なんでもない日常を母とゆっくり過ごしてみたい。
そんな事を思うのです。



「おばあちゃんの手はシワはあるけどツルツルでしょ」
と、孫である娘と手をつないでくれる母の手は
やっぱり私にとっては魔法の手。

夏休みもお正月も会うことができなかったけど、この日だけはきちんと言葉で伝えたい。

お母さん、いつもありがとう。
大好き。


【母の日コラム】母と過ごした「何でもないけど、かけがえのない日」のはなし
パパの背中は大好き。あと数年はまだまだ甘えてくれるかな。


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