「始まるがあるものには、いつか終わりがある」
そんな当たり前の事に驚きと、寂しさを強く感じるようになったのは、
きっと娘の成長の速さゆえ。
初めての育児に追われ、慌ただしくも毎日が宝物のようだった日々。
気がつくと娘はもう年中さんになりました。
あのぷにゅぷにゅした太ももも、
落ちそうなホッペもなくなり、
今は身長の伸びに体重が追いつかず、すっかり細身の体型に。
「いつか驚くほど荷物が軽くなる日は突然くるよ!」
と先輩ママから宣言されていた通り、パンパンだった私のバッグからは
離乳食がなくなり、
オムツがなくなり、
予備の着替えがなくなり、
外出用のおもちゃも、絵本も、スタイも、すっかりなくなりました。
気がつくと、荷物は娘のオヤツと水筒、ハンドタオルにウェッティ程度。
それもほぼ娘が自分のリュックで持ち歩くので、私のバッグはスカスカに。
荷物軽減のため、自分の荷物はほぼ持ち歩かなくなったこの数年間。
「あれ?私は普段何を持ち歩いていたんだろう?」
としばしの自問自答。
ああ、そうだ。
私のバッグにいつもあったのは何かしらの「本」。
気がつくとこの数年、ライフワークだったはずの読書もろくにしていません。
「終わりがあれば、新しいことも始まる」
ここ最近、娘と始めた図書館通い。
以前は娘につきっきりで絵本を読んでいたけれど、
今では自分で選んで読むように。
字が多い絵本は、まだまだママの助けが必要だけど、
自分好みの絵本を真剣に吟味する娘。
私もこうやって、母の自転車に乗って、
図書館に連れて行ってもらう時間が大好きでした。
外遊びが大好きだった姉妹と比べ、物静かだった幼少時代の私。
図書館に行きたいと言うと、母は家事の手を止め、
私を連れてでかけてくれた。
それが3姉妹だった私にとって、
母を独占できる貴重な時間。
図書館の静寂、紙とインクの匂いに囲まれることは
少し大人になれたような、幼い私にも特別な時間でした。
補助輪付きだけど、自転車が楽しくて仕方ない。ママの漕ぐ自転車の後ろにのってくれるのもあと2年程。
「終わった事は心の糧になる」
かけがえないベビー時代は終わってしまったけれど、
出来ることが格段と広がった娘との日々。
バッグの中身は減っても娘としっかり手を繋ぐために
昔愛用していた日傘が復活するのはもう少し先かな。
それまではこの手を離さず一緒におでかけしょう。
娘と約束したことも、
やりたいことも、
まだまだ沢山。
これから始まる新しいことが、
どうか娘の心の種になりますように。
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たまにそんな思いにふけるのも、
「母の日」という特別な日のおかげかもしれない。
母もこうやって、私の手を繋いでくれいたかと思うと、
それは私の心で大きな糧となって今がある。
この日だけはちゃんと言葉にだして伝えよう。
「お母さん、本当にありがとう。大好き。」
娘は私に、私は母に。手作りハーバリウムも初体験
2018年05月12日更新
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