来週は敬老の日ですね。
そこで今回はいつもの連載とは少し雰囲気を変えて、うちのばあちゃん(わたしの母・関西人)のことをお話ししてみたいと思います。
あまのじゃくなばあちゃん
娘は、わたしの母のことを「ばあちゃん」と呼ぶ。「おばあちゃん」と教えたはずなのに、割と早くから「ばあちゃん」だった。
ばあちゃんの愛情表現は、幼い子には分かりにくい。孫が可愛くてしょうがないくせに、おもちゃを隠したり、おやつを横取りしたり、余計なちょっかいばかりかけて困らせる。
どうやら他の大人とは違うぞ。いい子ちゃんでいたら痛い目に合うぞ。
娘がそう思ったかどうかは分かないけれど、早々に「ばあちゃん」と、ぞんざいな呼び方にしたのは、子どもなりの反骨心じゃないか思う。
現に娘は、ばあちゃんに対してだけは、他の大人と接する時のような遠慮をしない。言われたら言い返し、やられたらやり返す。お互いその応酬が楽しいようで、ケンカしながらも、2人はとても仲が良い。
本人は厳しく接しているつもりだけれど
ばあちゃんの口癖は、「甘やかしたらあかん」。
泣いたら泣き虫、怖がったら弱虫、いつでも強くたくましくあれ、というのがばあちゃん流の子育てで、わたしも幼い頃からそう育てられてきた。
だからばあちゃんに言わせると、わたしが泣いている娘を抱きしめるのも、グズるのに寄り添うのも、夜ごはんに毎回フルーツをつけるのも、全部甘やかしになるらしい。
だけどそんなことを言いながら、孫が遊びに来る日は、
子ども用のおやつを大量に用意し、
押し入れに新しいおもちゃを増やし、
ねだられるまま100均で大盤振る舞いをする。
これが甘やかしでなくて何なのか。自分の矛盾にまったく気付いていない。
そうだそうだ、ばあちゃんは昔からそういう人だった。
自分では厳しくしつけているつもりだけど、脇が甘い。普段の素っ気ない態度がポーズだということは、幼い子ですら見透かしている。
今年の敬老の日に贈りたいもの
先日、ばあちゃんから電話がかかってきた。要件は「孫の最近の写真を送ってほしい」。
ばあちゃんが住んでいるのは新幹線で1時間ほどの場所。ここ2年ほど帰省できておらず、実家の写真立ては更新されていない。
会えなくても平気だと強がっていたばあちゃんも今年で80歳になり、「孫の成人式を見るのは無理かなあ」など以前では考えられない弱気な発言をするようになった。
そんなばあちゃんの変化に、わたしは気付かない振りをする。
「じゃあ近いうちに写真送るね」
「え?写真だけじゃくて、おいしいものも一緒に送ってや。アハハ。」
また可愛くないことを言う。でも、それでいい。
今度の敬老の日は、ばあちゃんの好きなチーズケーキでも送ろう。そのついでに、孫の写真と手紙もつけよう。
きっとばあちゃんは、ケーキより先に写真立てを入れ替えて、手紙をいそいそと通帳のある引き出しに仕舞うだろう。そのあとケーキを食べて、お礼の電話をかけてくる。
「おいしいケーキをありがとう」って。
写真と手紙のことは、たぶん自分からは言いださない。