来週は母の日ですね。
何を贈ろう?何をしよう?考える時間も楽しいひととき。わたし自身、昔から母の日に何かするのが好きでしたが、自分が母親という立場になって、新たな発見がありました。それは、
お母さんは、子どもが思うより、ずっとずっと母の日が嬉しい。
プレゼントが嬉しくて、それを選んでくれた気持ちや、自分を思いやってくれた時間が嬉しくて、でも、それだけじゃない。
お母さんが心から嬉しいこと、それは、、?
お母さんみたいなスーパーマンには、なれない
わたしにとってお母さんは、スーパーマン。何が起きてもドンと構えて動じない。でも子どもがピンチの時は、颯爽とあらわれて味方になってくれる。
母親って、そういうもの。それこそが母親。
と思っていたけれど、いざ自分が母親になってみたら、全然違う。
娘は現在6歳。小学生になったばかりで、まだまだ親のフォローが必要なお年頃。なのに、ぜんぜん言うことを聞きません。
学校の準備、登下校の見守り、生活面の基礎作りなど、いちいち口を出しては子どもにムッとされ、最後はいつも「遊ぶ前にやることあるでしょ!」とカミナリを落とす。ちっともドンと構えてなんかいられず、子どもに翻弄されるばかりです。
わたし、こんなに口うるさいタイプじゃなかったはずなのに。
もうちょっと余裕のある子育てをするはずだったんだけどなあ。
それでも、頼れるお母さんでありたい
思い描いていたお母さん像とは、かけ離れた今の自分。だけど、そんなわたしでも、娘にとってはたったひとりのお母さん。困った時、寂しい時、不安な時、頼れるのはわたししかいません。
雷なんて平気平気(本当は心臓バクバク)
抱っこね、おいで(3階まで登るのキツー)
蜂がいる?よし任せて!(大の虫嫌い)
全部強がりだけど、そんな素振りは決して見せず。大丈夫だよ、と子どもに言いながら、自分自身にも言い聞かせてる。
お母さんは強いんじゃなくて、強くあろうとしているだけ。気持ちを奮い立たせて、両足をふんばって、子どもに悟られちゃいけない大きな虚勢。
こんなの、自分事だったら絶対やらないのに。子どものためならできてしまう不思議。
わたしは、ちゃんとあなたのお母さんでいられている?
子どもに振り回されて、口うるさいと思われて、母の愛はだいたい一方通行。また時にはイライラをぶつけたり、理不尽な強権を発動したりと、母親になってからの6年は、自分の未熟さを目の当たりにした6年でもありました。
報われないことは多いし、反省とごめんねは尽きないし。それでも、真剣に、精一杯、子どもと向き合ってることに関してだけは胸をはれる。
「おかあさんありがとう」は、子どもが思っている以上に母を勇気づける言葉。
至らない所だらけだけど、ちゃんとあなたのお母さんでいられてるかな。
これから先も、その時々で母は右往左往し、気を揉み続けることでしょう。きっと何年たっても、母業に自信を持てることはなさそうです。
だからこそ、子どもはいくつになっても伝えることを惜しんじゃいけない。娘からわたしへ、わたしから母へ。つながっていく感謝の言葉。
「おかあさん、ありがとう。」
母の好きな紫陽花と一緒に、今年も心からの想いを贈ります。