最近、長きに渡って習慣だったことを一つ手放しました。
ずいぶん長いこと続けてきた習慣だったので、最初は手放すことに罪悪感があったのですが、手放してみると案外すっきり。
あんなに必要だと思っていたものは、たいして必要ではなかったようで、なくても私は充分に楽しく暮らしていけるという事実が判明。
新しい発見さえ生まれたのです。
不思議なことに、そこの空いた時間には次から次へと別の予定が入り、充実度は増していきます。
あんなに手放すことに躊躇していたのに、おかしなものですね。
「手放してはいけない」「やめられない」と縛っているのは、もしかしたら自分自身だったのかもしれない。
当たり前だった習慣が私自身を縛っていたのかもしれません。
モヤモヤしている自分に気づいたら。
長く習慣になっていることは、自分の考え方を閉鎖的にしてしまうことがあります。
そこで得た「○○だからこうあるべき」という考えは、固定概念に過ぎず、意外とそこでだけのルールであることが多いのです。
その考え方は、本当に心地よいものですか?
世の中はどんどん新しい方向へ向かっているし、環境はめまぐるしく変わっている。
それに柔軟に対応できるよう、私はしっかりとアンテナを張っておきたいと思います。
固執した考えに囚われるのではなく、「こっちの方が、みんなが居心地よく居られるかも。」と、試行錯誤を重ねる。
そんな前向きな発見を見つけられる人でありたいなぁと思うのです。
それに気づくには、まず自分の中の「いやだな」という気持ちに蓋をしないこと。
モヤモヤを感じたら、ちょっと良くしてみる工夫が必要です。
それでもどうしようもない場合、私は、それ自体を手放すことをも考えます。
自分を変えるチャンスだと捉える。
何かを手放そうと悩む時、私はそれをプラスのイメージで捉えます。
「これがなくなるとどう変わるんだろう?」
もしかしたら、すごく不便になるかもしれないし、退屈かもしれない。
でも逆に、清々しい気持ちになるかもしれないし、他のことが自由になるかもしれない。
人生はそんな選択ばかり。
イメージを膨らませて、どっちの自分がワクワクするのか妄想してみるのです。
現状維持だと今のまま。
だけど手放すと何かが変わるかもしれない。
ひょっとしたら、新しい自分に出会えるかもしれない。
それがなくても平気な自分ってどんなだろう?
私はその変化にワクワクします。
新しい挑戦をする時間に充てる。
習慣を手放したら、その空いた時間をしばらくはボーっと楽しみます。
ぽっかり空いた余白を感じるもよし。
そこに何か別のことで埋めてみるもよし。
そうしているうちに、何か新しい発見に出会うはず。
不思議なことに、時間ができると、次から次へと新しいお誘いの話が舞い込んでくるもので、今までは「できない」とバリアを張っていたことも、「やってみようかな」と心が動き始めます。
その余力のすばらしいこと。
これからの自分をつくるために、前向きに受け止めることができた時、自分が変化していることにハッとさせられます。
私はその瞬間がすき。
これから何が起こるのだろうとワクワクするのです。
時間の余白というものはとても大切なのですよね。
やらなければいけないと思い込んでいるその習慣は、本当に必要なことですか?
手放すのを恐れて、変われるチャンスを逃さないで。
ずっと自分の傍らに在るものがなくなるのは、さみしく不安に感じるのかもしれませんが、もっとすばらしい出会いがあることも忘れないでくださいね。