暮らしの中には「無駄」がいっぱい。
ついダラダラ過ごしてしまったり、余計なモノを買ってしまったり。
時短、コスパ、効率化といった言葉がもてはやされ、「持たない暮らし」が注目を集める昨今。
時間にしろモノにしろ、何かを無駄にすることに対して、世の中がとても厳しくなっているように感じます。
だけど、無駄って本当にそんなに悪いものなのでしょうか。
たとえば時間をかけることで見えるものもあるし、何に使うか分からないけど心を揺さぶられるものもありますよね。
今回はそんな、無駄なようで無駄じゃない、愛すべき無駄について考えてみます。
断捨離の中で見えてきた心の矛盾
わたしはモノをたくさん持つのが好きじゃなく、かなり思い切りよく手放すタイプ。
「断捨離」という言葉が出てきたときは、水を得た魚のように身の周りのものを減らしました。
でも、どうしても手放せないものがあるのです。
それが異国の雑貨達。
手紙や切手、お菓子や紅茶の缶、見た目だけで選んだキッチンツールなど、使い道なんてほとんどないのに。
実用性でいえば、なくてもまったく困らない。
だけどもし手放してしまったとしたら、暮らしがとても味気ないものになってしまうのは間違いがありません。
異国の雑貨達はわたしにとっては、たとえ出番がなくても持ち続けたいもの。
「使えるもの」や「実用的なもの」ばかり残していても、なんだかつまらないんです。
時間の無駄使いにも意味がある
暮らしを振り返ってみると、モノだけでなく時間もたくさん無駄にしていることに気付きます。
やたらと煮込むカレー、寄り道ばかりの散歩、ミシンがあるのに手縫いで作る子ども服。
本来ならもっと短時間でできることに、あえて時間をかける時があります。
でもそれも、わたしにとっては必要なこと。
たとえ生産性は低くてもその分、カレーには達成感があり、散歩には発見があり、無心で縫う作業には頭と心をリフレッシュさせる効果があります。
そして何より、時間をかけることがあらかじめ分かっていれば、そのひとときがゆったりとした気持ちで過ごせるんですよね。
日常に“楽しい”を生み出すのは、程よい無駄
こうして考えてみると「無駄」というのは、自分の「隙」に似ているのかもしれません。
ずっと隙がないと窮屈だし疲れてしまいます。
かといって隙だらけというのもちょっと問題。
仕事をする上では、効率化はとっても大事。
プライベートでも、やらないといけないことがたくさんあれば優先順位をつけて時短を目指します。
だけど休日なら無意味にゴロゴロしたいし、好きな雑貨を眺めてワクワクしたい。
暮らしの中で少しでもこんな時間があると楽しいもの。
結局のところ大切なのはバランスとメリハリ。
これが守れたら、無駄はただの無駄ではなく、大切な無駄に変わるはず。
無駄を程よく受け入れることで、毎日にちょっと彩りが生まれるのではないでしょうか。